2007年07月18日

旅の記録 上越2日目 その4 埋蔵文化財センタ

2005年5月11日 3日目 (上越2日目) 
   埋蔵文化財センタ  地図はこちら

 **2007/7/16 上越市を含む中越沖地震の
      罹災者の皆さんにお見舞い申し上げます**

 上越市役所の受付で教えられたプレハブの建物に入る。
 教育委員会関係の部署が入っている建物だ。つまりは、生涯教育も教育委員会の担当だから当然といえば当然。この1階のドアを開き、(ドアは最近多くなったほうっておいても勝手に閉まる引き戸)案内板にしたがって入っていく。教えられた「生涯教育企画課」をと思ったのだが、このフロアみんなその名前だよ。困ったなぁと思っていたら一番奥の女性が私のかを見て出てきてくれた。電話で話をしていた人なのだろう。(かなりの美人である。ラッキー)

 彼女いわく、「詳しい担当者が出払っておりますので改めてお出かけいただけないでしょうか」とのことだ。詳しい人がいないのは残念だが、アポなしの強引訪問だから致し方ないし、今回は時間をたっぷりとった上越訪問なので、了解。担当者のご都合のいいときを電話いただくことにして名刺を渡した。女性からも名刺をもらう。(こんなことはめったにないことだなぁ・・)

 私は、上越について知りたいことの概略を伝えた。親鸞関係のことを調べているのだが、平安後期から鎌倉にかけての地震の記録はないだろうか、またそういった古文書の存在を知りたいと。そうしたことに関して彼女は、春日山城公園のふもとに「埋蔵文化財センター」もあるので立ち寄っていってほしいのこと。春日山城は実は私は今回も行く予定はしていなかったのだ。この山は、上杉謙信の居城跡で江戸に入ってからは撤去・破壊されたもので、現在はほとんど何も残っていないことをすでに知っているから、行く意味を感じていなかったのだ。

 皆さんそうなのだろうが、非常に親切でいろいろパンフレットを持って来て説明をしてくださる。ありがたい話だ。最後に前回来たときに高田城公園の売店(市の運営みたい)でもらった寺町案内の冊子をもっといただけないかとお願いをした。何冊いるかとのことなので5冊いただけますかというと、快く5冊いただけた。

 埋蔵文化財センターへの道順をお聞きして、市役所を後にした。市役所の北の交差点を左=西に向かう。鉄道の線をくぐる。これは信越線の下をくぐっているのだ。この線の左には春日山駅がある。信越線を超えると町並みが急激に変わる。信越線の西は住宅地になるのだ。いずれにしてもこのあたりは、直江津市と高田市の合併によって、その南北中央あたりになるのだが、そこに新しくできた町並みのように思われる。
 少し先に広い交差点がある。前日とおった通称山麓線だ。この交差点を左折して南に向かう。右側に仏壇屋さんがある交差点まで行くことになるんだが、仏壇屋がわからない。名古屋にある仏壇屋を頭に描くなら、彼女の言う仏壇屋とはイメージが違っている可能性が大きい、とはいえ信号の数も聞いていたのでその数の信号を右折。だんだん本当に住宅地に入る。

 春日山町という交差点に来た。どことなく見たような気がするが。そのときは思い出せず、交差点を直進する。右に老人施設がある、左には幼稚園があるとのことだが、どうもさっと気づけないのが今回の旅の欠点。老人施設の看板に気をとられその後ろにある建物がその老人施設だと思ってしまった。
 そのためにその施設を通り過ぎてしまい、直進すると、春日山公園なんて書いてある。これでは行き過ぎであることがわかった。道を間違えたのかと思い、右折したら行き止まりに入り込んだ。仕方がないので切り返してもとの道に戻る。先ほどの老人施設の前で、埋蔵文化財センターなる文字を見つけたのだが、それに気をとられ、タイヤを縁石にぶつけて大きな音を出してしまった。みっともないったら。

 車を駐車場に入れる。しかし、ちょっと待て。人気がないのになぜこの駐車台数があるのか?いまだにその理由を図りかねている。学芸員たちだけの車では絶対にない。
 まあ、車が多いから入館者も多いと思ったのは最初。玄関を入るが静かなものだ。正直、誰も来ていない。まだ新しいということもあるのだろうが、世に知られていないのではないかとすら思う。


  **埋蔵文化財センター写真は上越市公式ページから拝借しています**

 玄関の右に小窓があり、そこに一人受付をかねた女性がいる。何か書きものをしている。その人が顔を出した。そして、どうぞ見てください。今電気をつけますのでとのことだ。つまりは、展示室は証明がつけられていない、真っ暗状態なのだ。当然といえば当然か。誰も入館者がないのに無駄な照明をつけておく必要もなかろう。
 照明を点けてもらったので展示室に入る。縄文土器、弥生土器、そのほかにも焼きもののなど埋没していた古のものをいくつか展示してあるが、そんなにたくさんあるわけではない。それにしても上越やその近辺の名前よりも能登、越前の地名の焼き物がある。なぜ?時代的な問題もあるが、当地よりも他の地のものがたくさん出てきているのはどうしてなのか、疑問が多い。

 ここに展示されている文化財は、上越自動車道の高田ICから上越JCの間の工事で見つかったものとのことだ。上越は高速の工事とともに、いくつかの国道工事もあったが、そのたびにいくつかの史跡が見つかっているようだ。
 これは、上越に限ったことではないのかもしれないが、新たに何かを建設するための工事で、何もない野原と思っていたところが、大昔はそこに立派な施設があったということもよくあることだ。

**次回は、上杉謙信の居城 春日山です、**


過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日
 上越2日目 その1
 上越2日目 フェリー乗船場
 上越2日目 市役所

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この記事へのコメント
埋蔵文化財ですか?
お好きなんですね。
実は私も好きです。
父の関係で土器の修復作業のお手伝させていただいたことがあります。
最初はロマンを感じましたが、段々と難しいパズルをこなしているようで土器という感覚が抜けて元の形へ戻すのに躍起になっていましたよ。
とはいえ、今よりずっと昔の人類が作ったものを手に触ることができ嬉しかったです。
Posted by ちょこレピ at 2007年07月18日 17:21
ちょこレピ さん

 コメントありがとうございます。
 
 埋蔵文化財は
  好きなようなぁ、そうでないようなぁ。
  嫌いではないんですが、

 理由は、
  博物館に行くと
  古代のホコリ?でくしゃみが出る
   そんな体質なので。
 上越では、そんなことはなかったですが。

 この文化財センター面白いですよ
 その土地のものよりもほかの土地のものが多い。
 多分に、水路の交易があった。
 そんな感じです。

今回の中越沖地震で
 柏崎を含め海岸沿いが断層で下がってますね。
 この辺りは、水没するかの可能性があるようです。
 上越近辺も・・・
 ある人の話だと、昔はもっと海側まで土地があったと。

 富山県の魚津市に埋没林博物館があります。水没してるんです。

 ごめんなさい、余分な話を書いてしまいました。
Posted by 化石こと生田こと at 2007年07月18日 18:12
 

  
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