2007年09月17日

古戦場公園

長久手の戦い

天正10年(1582)6月、織田信長が家臣明智光秀の手にかかり本能寺にたおれた。このため、遺児や家臣の中で後継者争いが起こったが、この中で最初に頭角を表したのが羽柴秀吉だった。 秀吉は山崎で光秀を討ち、賤ケ岳で柴田勝家を破って天下統一への階段を昇りつめていった。
こうした中、信長の次男信雄は、強大になる秀吉の勢力に対し、身の危険を感じるようになっていた。そこで信雄は信長の同盟者であった徳川家康に助けを求めた。家康はいつかは秀吉と対決せねばならないと考えていたので、これを承諾した。
天正12年(1584)3月、秀吉軍と家康・信雄連合軍は、ともに兵を挙げた。両軍は小牧でにらみ合ったが、先に動いたのは秀吉軍だった。家康の本拠地岡崎を攻めるために三好秀次を総大将とした別動隊を送ったが、その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日長久手で激しい戦闘が起こった。
この日の戦いは、家康軍の勝利に終わったが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立した。 



合戦400年を記念して昭和60年に
オープンした郷土資料室が隣接して
いる。 南側には古戦場を縮景で再現
した公園が広がる。 このほか、いくつかの石碑がある程度。 まだまだ発展途上の公園で、今後の整備が待たれるところだ。 リニモの駅から近い。



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